「元始女性は太陽だった」のか?に行きました。
本展では嶋田美子、山本れいら、みょうじなまえの3人の女性アーティストの作品を通じて、歴史への批判と未来への思索によって家父長制的ナラティブに挑みます。
行こうと思った理由
- フォローしている人が何人か行っていたので気になった
- 「アートによる社会への訴えかけ」というのをよく見かけるが、自分にとって「アート」はよく分からないものとしてスルーしていたので、「自分がアートについて何をどれぐらい分かっていないのか」を確認したかった
- そのため「よく分からなかったな」という感想に終わってもいいかなと思った
- 似たものとして「フェミニズムと魔女」もよく聞くけど全然分かっておらず、距離感を知りたい分野
- 最近このテーマでWeb連載記事が始まったから読みたいが読めていない…
行くまでの間
- 会場名でググると別の店舗が出てしまう!建物の「TERRADA Art Complex I 」でググるべし
- 自分に知識がないのは分かっていたので予め色々検索をかけたが、「必見の展示である」みたいな投稿が多く、予習に失敗した
展示の感想
全体
- 作品の近くに作品名が書いていないので、作品について調べようとしても難しかった
- キュレーションツアーによる展示の解説を聞かないと結構さっぱりだった
- 会場の構成として「過去、現在、未来」の3エリアになっているというのも、ツアーを通じてようやく知ることができた
嶋田美子さんの作品
- 作品のインスピレーションになったものとして「昭和天皇の崩御」があったというのが、それを体験していない自分にとって印象的だった
- 直近自分の中で「自分と戦争を繋げられていない」ことが問題だと感じており、それで戦争に関する展示に行ったりもしていたのだが、「今見ている作品のアーティストが、昭和天皇の崩御にインスピレーションを得た」と知ったことで、また一つ繋がった感じがあった
- 女性の戦争への加担については「『家庭』の誕生」で学んだので、それを思い出しながら展示を見られた
- 「戦争に加担させられた」も「社会参加のために戦争を利用した」もどちらも嘘ではないが、一番重要視するべきは「二度と同じような社会を作らないためにこの先どうしたら良いか」だと考えている
- 風船爆弾をテーマにした作品があったが、風船爆弾がどのぐらいメジャーなものなのか気になった
- 自分はふぇみんで初めて知った
山本れいらさんの作品
- 堕胎罪は知っていたが文章としてしっかり見ることはなかったので、文章を仰々しい色合い、大きさで作品として見るとかなり圧を感じられた
- 美術館に行く意味として「大きさによる圧を感じられる」「質感を感じられる」があると思っており、今回もそういう意義を感じた
- キュレーションツアーの解説で「モチーフとしてウィリアム・ハンターの解剖図を用いることで、西洋的価値観への批判の意味も込めた」と言っていたのが印象的だった
- 「西洋医学」に関して自分が忘れられないことがあったので
- とある動画で東洋の国について「西洋医学が入ってこなかったので、東洋医学が発展した」とさらっと言っていたことに対して、自分はネガティブな意味合いに捉えたが、その後の話を聞き続けるとなんとなく噛み合わず、よく考えてみると解説者はフラットに「西洋医学が入ってこなかった」という事実を言っていただけだと気づいて、自分のバイアスを強く感じたことがあった
- 「西洋医学」に関して自分が忘れられないことがあったので
みょうじなまえさんの作品
- インスタレーション作品とのことだが、没入感がなく、一帯が一つの作品になっているというのが分かりづらかった
- 婦人科の受付を模した机があったが、こういうレポートの写真とは違い、会場で自然に歩くとクリニック名は見えず、ただの台にしか見えなかった
- 例えば未来ゾーンに入ったときにこの受付が遠くから見える状態にしてあれば、「この一帯が婦人科」というのが分かったと思う
- 作品として語られる「技術が発展しても、それが再び保守的思想に利用されてしまう危険性」というのが「『家庭』の誕生」で語られた「革新的だった『家庭』という概念が、保守的思想に利用されていった」という過去の出来事を思い出させて、これはずっと持っていなければいけない危機感なのだと思った
- 「未来で売っているという設定の雑誌」など色々なところに展示されている写真風の絵について、本人の解説で「AI(Midjourney)で作っており、AIが持っているバイアス(プロンプトにpink、girlyなどの言葉を入れるとポルノが出力されることがあるなど)を利用した」というのが、「未来における保守的思想」の表現にとても当てはまっている方法だと思った
他に考えたこと
- 個人的にフィクションにおいてお手軽なグロホラー演出として「子宮」が使われすぎてきたと感じており食傷気味だったのが、今回の展示を通してリセットされた気分だった
- 「フィクションは置いておいて、現実としてどう扱われているのか」を考えられたからかもしれない
- つまり、外の世界に出るのは大事